先日、ある実業家と茶の湯の対談をしました。彼の感想がとても印象的で、 こんな事をいわれたのです。「私が茶室に座っている時、雨が降り出して屋根を雨が打つ音や、軒をつたって落ちる音を聞きました。マンションの中に いては聞けない自然の音に感動しました。」雨の音、風の音、流れの音、そうした 自然の中に身を置いて、自然と共に生きている事を実感するのが茶の湯であるといえましょう。
茶の湯は千利休(1522-1591)が大成した日本独特の文化です。利休が生まれた堺は、当時の日本の中で最も先進的な都市文明を創造し、ヨー ロッパに向かって開かれた国際都市でもあります。会合衆と呼ばれる堺の中心的な商人は、 今でいえば超一流のビジネスマンたちでした。しかし彼らが求めたのは、雑踏する町のまん中に、まるで深山幽谷を思わせる山中の姿を再現する ことでした。 それを彼らは「市中の山居」と表現しました。最も都市的であるが故に、山という非都市的要素を求めました。市中の山居であるわびた茶室に座って雨 の音を聞き、樹々の間を抜ける風を感じることで彼らは心の安息を得られたのでしょう。
茶の湯は自然との共生に出発して、共生に終る、といってもよいのですが、 それが茶の湯を愛する人の生き方にも関わってくることが大切です。茶の湯がめざす「わび」は単なる美意識ではなくて、人間の生き方を含ん でいます『南方録』という 300 年くらい前に書かれた茶の湯の書物に「家はもらぬほど、食は餓えぬほどにて足ることなり」とあります。贅沢にはキリがありません。しかしミニマムの 生活は、家は雨露がしのげればよいわけですし、食べるものは 身心を健全に保つことができれば十分です。だからといって美しいものに感動する必要がないわけではありません。おいしいものを食べて舌鼓 を打つ味覚も大切です。しかし贅沢には限りがありませんが。ミニマムの生活さえしっかりと覚悟できていればよい。そこに茶の湯の現代意義があ るといえましょう。

熊倉功夫プロフィール・1943年、東京都生れ。静岡文化芸術大学学長。
略 歴・東京教育大学文学部史学科卒業。日本文化史専攻。文学博士。京都大学人文科学研究所講 師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授、(財)林原美術館館長を経て、現在、静岡文化芸術 大学学長、国立民族学博物館名誉教授。NPO法人日本料理アカデミー理事も務める。 専門と研究テーマ・茶道史、寛永文化、日本の料理文化史、民芸運動など幅広く研究